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店主 蓮岡 寄稿文のご紹介「子どもの本棚2026年11月号」

2026 / 10 / 27  11:51

『水は人を選ばない』 「子どもの本棚2026年11月号 寄稿」

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『水は人を選ばない』                              
                       
元ペシャワール会員 蓮岡 修

 2019年12月に中村医師が、アフガニスタンジャララバードで襲撃され、米軍の病院で命を落とした。その後、全世界で、小さな村や山奥でも、中村医師の追悼の祈りが行われた。富める者も貧しいものも同じように彼の死を悼んだ姿を見て、あの水源確保事業が単なる土木工事ではなく平和の象徴であったと改めて思った。

 あの一連の水源確保事業は、たくさんの幼児が死んだことが出発点であった。2000年夏、アフガン東部の小さな診療所に連れてこられるのは、命が消えようとする幼児たちだった。薬は強い命しか助けない。多くの幼児は薬を受けつけず衰弱死する。母だけでなく髭顔の屈強なアフガン男が壁に頭をつけて泣いていた。

その原因は、仕方なく使っている不衛生な生活水だった。母親たちのすすり泣く声が聞こえる中、助からない幼児の診察を終えた中村医師が訛りのある静かな言葉で我々に言ったのを覚えている

「きれいな水を、だしましょう」

それが中村医師自身の死を含んだ大きなうねりの始まりだった。最初は自分たちで井戸を修復するための道具を配ることから始めた事業は、井戸の修復事業、そののちに井戸掘り事業へ、その後に水路事業につながる。中村医師自身も、我々も井戸の知識がないところから熱意だけで始めた事業。「我々は半年間堪える。さすれば国際NGOが必ずやって来る」大旱魃の情報を知りながらタリバーン政権を恐れてやって来ず、ペシャワール会のみ孤立無援の支援が始まる。

井戸を掘り、水路を掘る水源確保事業が実現でき、65万人の命をつなぐ偉業ができたのは、中村医師の意思と、利他の行為を支えた数多の会員の力によるものだった。会員の方々が一石を投じ、その波紋が広がり、彼の地で衰弱死するはずであった数多の幼児の命が救われたのだ。中村医師は、その手になり、我々も気づかぬ間に指となっていただけであった。

あの仕事を振り返った時思い出す風景がある。大旱魃で無住になった村で井戸を復活させ、そのお祝いの席で長老が朗々と唱えた言葉。「今回、アラーの神のおかげで井戸が出来て村が蘇った」それが全ての口上であった。我々ではない、中村医師の熱意でも、会員方の善意でもない。全ては神の手による慈愛であった。おそらく、それが我々が寄り添おうとした平等の在り方であったと思う。

 小さな我々が出来ることは、そこに、悲しい涙ではなく、小さな笑顔と喜びが生まれることを願って、おこがましくも自然に手を加えることだけだった。穴を掘り地下の水を奪う、土地の形を変え、生態系を変える。自然に手を入れることは罪深いことである。それが分かっているからこそ、できるだけ自然に還る工法を採用し、コンクリートを最小限に止めてあの工事は勧められた。

自然への敬意、そこに生きる尊い命を育む小さきものへの敬意、その当たり前の目線であの事業は統一されていたように感じる。中村医師の偉業とは、末端の古老の労働者に対しても決して変わらなかった、人に上下をつけない態度だった。それが自然に対しても同じように向けられていたように思う。

私は今になって回想する。先生が何故あの事業を始めたのかを。先生は、あの時、あの診療所で、幼児を失った男たちの泣く姿を見ることに耐えられなかったのではないか。当時の私は思いもよらなかった。わが子が亡くなることの絶望を。当時、先生は息子さんを亡くしかけていた。それを知っても私には分からなかった。ただ、自分よりも大切に思うわが子が出来て、少しだけ先生の苦しみが少し理解できた。今なら、私も、同じように手段を選ばず水を出すかもしれない。あの偉大な事業は、一人の父親の素朴な愛情から始められたものでもあった。

 自然は人を区別も差別しない。人間は自然を、奪い、頂き、感謝する。水は命であった。そして、水はその性質そのものの在り方で、我々に問いを投げ続ける。あなたの水は澱んではいないか、流れはきちんとできているか、上から下に流れる道理をわきまえているか。中村医師は、今でも私の中で語り続けている。

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 「子どもの本棚2026年11月号 寄稿」
 一般社団法人 日本子どもの本 研究会
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